河野圭太 Keita Kono
大学卒業後制作会社に所属し、テレパックに派遣スタッフで務めるなどフリーランスの時期を経てベイシスへ。特にテレパック時代からの知己である若松節朗の下で助監督としてのキャリアを重ね、30歳のときに若松がチーフ監督を務めた『オレの妹急上昇』でデビューを果たす。1991年夏頃までは助監督兼任ディレクターとしてキャリアを積み重ね、同年『しゃぼん玉』にて連続テレビドラマで初のローテーション監督に就任(因みにこの作品のチーフ監督も若松である)。以降『しゃぼん玉』...(展开全部) 大学卒業後制作会社に所属し、テレパックに派遣スタッフで務めるなどフリーランスの時期を経てベイシスへ。特にテレパック時代からの知己である若松節朗の下で助監督としてのキャリアを重ね、30歳のときに若松がチーフ監督を務めた『オレの妹急上昇』でデビューを果たす。1991年夏頃までは助監督兼任ディレクターとしてキャリアを積み重ね、同年『しゃぼん玉』にて連続テレビドラマで初のローテーション監督に就任(因みにこの作品のチーフ監督も若松である)。以降『しゃぼん玉』から2008年『鹿男あをによし』に到るまでフジテレビ系列の連続テレビドラマを毎年18年連続で担当していた(この記録は2008年で途切れた)。2008年、ベイシスより親会社の共同テレビジョンに佐藤祐市とともに移籍した。
独自性は出さず、あくまでシナリオを基本とした演出を展開。そのため脚本家より熱烈な支持を受ける。脚本家では三谷幸喜、君塚良一といった大家と組むことが多く、プロデューサーでは共同テレビ・関口静夫、高橋萬彦(両名とも現・共同テレビ取締役)や小椋久雄、フジテレビ・石原隆作品が多い。
2006年春、『子ぎつねヘレン』で映画監督デビュー、映画第2作目となる浅田次郎原作『椿山課長の七日間』も同年秋に公開され、さらには映画第3作目となる『ぼくとママの黄色い自転車』も2009年に公開された。テレビドラマ、映画問わずジャンルを越えて活動。
近年も三谷が脚本を手掛けるフジテレビ開局50周年企画スペシャルドラマ『わが家の歴史』の演出を一手に引き受けるなど活躍中。また、橋本芙美プロデューサーとコンビを組んだ『フリーター、家を買う。』『マルモのおきて』といった連続ドラマではメイン監督を担当、いずれも高視聴率を獲得している。